海辺の風景… 鞆の浦に思う
海辺の風景で、近年話題の土地は広島県福山市の「鞆の浦」と思う。
「鞆の浦」は、瀬戸内海の東西の中心部に位置することから、、古くから潮待ちの港として、海上交通の要所として栄えてきたが、明治期以降の鉄道や陸路へ輸送分担が比重を移して以来、漁港としては利用されているが、交通の要所としての機能は減少している。そのため発展から取り残された事で、街の中には多くの歴史的文化財が残され、港、湾、海辺の風景と一体となった歴史的世界遺産への登録も模索されています。
また、近年では宮崎駿監督2005年に「崖の上のポニョ」の構想を練った舞台としても注目を再度、浴びていることは、良く知れらています。
更に、着目すべき事は、この「鞆の浦」の湾入り口を跨ぐようにバイパス道路の建設が計画されている事に対して、全国各地からの「鞆の浦」を守れとの保存活動が揚がっています。

参考リンク:鞆の浦の埋め立て架橋問題 (動画でバイパス道路の予定が見られます)
しかしそれにも拘らず、「地元・市長の意向」として道路建設の手続きが進められています。確かに、地域分権の趣旨を引き合いに出すまでも無く、地元で決められる事は地域で決めるべきで、これに対して県や国の行政が異議を唱えるには困難な時代の流れではありますが、
果たして今の方向でよいのか?「鞆の浦」の価値、保存を大切に思う立場からは、疑問を感じざるを得ません。
小樽の運河の修景保存にしても、当初の運河埋めてに対する全国からの保存運動支援が地元を動かし、その結果現在の魅力的な小樽市が形成された事は有名です。
「木更津港」は、江戸時代には、上方から江戸に入る際の風待ちの港として繁栄してきました。
古くは、倭武の皇子(ヤマトタケルのミコ)の東方征伐に際、三浦半島から房総半島へ渉る際に嵐で皇子の身代わりに入水したおと橘姫への思いから「君去らず」の地名ともなったとも言われる海・港に係りの深い街です。
前述の「鞆の浦」がある瀬戸内海も、珍しい地形と潮の満干が原因で潮流の逆転現象が起こり、その潮が出会い別れる場所に「鞆の浦」という天然の良港があったため、そこで潮の流れが変るのを待つ「潮待ち」の港として繁栄してきました。そして、このことが二千年に渡って鞆の浦を繁栄させ、今に繋がるわけです。
昨年夏に、大分県豊後高田市、兵庫県芦屋市等から知人をお迎えし、魅力的な街づくりを考える・・・・「津々浦々サミット」を・木更津市・君津市・富津市・袖ヶ浦市の上総4市で活躍する仲間とシンポジウムを行いました。
全国で、海辺の魅力を生かしたまちづくりが推進されたら、海の国・日本の魅力も更に増すものと思います。
各地の「津々浦々」を大切に行きたいと思います。














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