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2008年10 月

2008/10/27

すだて(簣立て)の様子

前回の「すだて(簣立て)とは」という記事でも書きましたが、今回はすだて(簣立て)のときの様子をご紹介したいと思います。

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すだて(簣立て)遊びとも言いますが、このような感じですだてに残った魚を網などで捕まえていきます。

そして、その後は…

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食べます!
採りたての魚なので、とてもおいしいですよ。

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今、盤洲の特徴で行うことができる金田海岸でのすだて(簣立て)ですが、埋め立てなどが大規模に行われてしまったら出来なくなってしまうでしょう。

2008/10/14

すだて(簣立て)とは

皆さんはすだて(簣立て)というものをご存知でしょうか?

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すだて(簣立て)とは遠浅の干潟に網を仕掛けて、潮の干満を利用して魚を捕らえる漁法のことです。この木更津近辺では金田地区や富津地区で行われています。
千葉県ホームページ:すだて、観光地曳、ダイビング

県外で調べた限りでは、宮城県福島県でもすだて(簣立て)が行われてるようですが、木更津・金田・富津の東京湾岸(内房)ほどは、観光資源として扱われてないようです。

 

すだて(簀立て)の由来・始まりについてはハッキリとは分からなかったのですが、ネット上では下記のようなことが書かれていました。

汐が引いた海岸で大勢の人達が歓声をあげながら、魚を追っている。
子どもも大人も手に手に網を持って、「簀立」に取り残された魚をすくいあげている。
もちろん、取った魚はその場(船上)で調理し、新鮮な江戸前の魚を堪能できる。
こんな「簀立遊び」が姉崎の海で行われていました。
しかも、この「簀立」を湾内で最初に始めたのが姉崎の海であり、最も盛んであったのも姉崎の海であったという。

今でも木更津・金田海岸で昔ながらの手法で続けられています。
この「簀立」について紹介をします。

「簀立」は、遠浅の海岸の沖に網を張り、夜間網に入った魚を捕まえる定置網漁の一つです。
魚の通り道に左図のような定置網を設置してき、魚を網に沿って「みと」と呼ばれる網の終端に迷い込ませる仕掛けとなっている。大正2年に旅館業を営んでいた稲毛氏が、印旛沼で行われていた『グレ漁』を姉崎の海に移したものが最初とされている。
印旛沼では孟宗竹を割ったものを縄であんだものを海底から建てる手法がとられていたが、これを丸い女竹に替えるなどの改良を加えた。

簀立(すだて) より

すだて(簀立て)の「簀」は「すのこ(簀の子)」「すだれ(簀垂れ、簾)」の「す」と同じもとの考えると、割竹や葦を糸で編んだものを表す語で良いかと思います。そうすると、確かに上述の、

……印旛沼で行われていた『グレ漁』を姉崎の海に移したものが最初とされている。
印旛沼では孟宗竹を割ったものを縄であんだものを海底から建てる手法がとられていたが……

という記載があるグレ漁が由来と考えても良いかもしれないですね。
(もし本来の由来をご存知の方がいらっしゃいましたら、コメントやメールで教えていただけますでしょうか)

 

ちなみに、上記記載で

しかも、この「簀立」を湾内で最初に始めたのが姉崎の海であり、最も盛んであったのも姉崎の海であったという。

となっていますが、現在は姉崎の海では行われていません。
というより、行うことが出来ません。

現在の姉崎はこのようになっています。

大きな地図で見る

地元の方は「姉崎沖は埋め立てられた」という事をご存知の方が多いかと思いますが、国土地理院の「国土変遷アーカイブ」というもので埋め立て前の昭和23年と埋め立て後の昭和45年の航空写真を見ることが出来ますので、ご存知の方も、ご存知でない方もご覧になってみてください。

埋め立て前 昭和23(1948)年
埋め立て後 昭和45(1970)年

※それぞれ、画面を開いた後に左側にある200dpiという文字をクリックすると、もう少しきめ細かい画像が見られます。

ほぼ同位置の航空写真ですが、22年の間にこれだけの海が埋め立てられて現在の臨海工業地帯が出来上がりました。埋め立てられたことで新しい産業が生まれもしましたが、それと同時に失った文化もあるということです。

 

現在、木更津近辺の金田海岸・富津海岸では「すだて(簣立て)遊び)」として海のレジャー+取れたての海産物をおいしく頂ける場として楽しめます。
色々な方のblogでも、すだて(簣立て)をされたときのレポートが掲載されていますので、ぜひご覧になってみてください。

私もすだて(簣立て)遊びに行ったことがありますので、次回はその出かけたときの写真を掲載したいと思います。

2008/10/07

和歌の浦の不老橋

和歌山市和歌浦にある不老橋は写真にあるように紀伊徳川家13代藩主慶福治世中1851年に完成したアーチ型石橋で歴史的遺産として和歌山市指定建造物です。

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大きな地図で見る

前回は、鞆の浦に架かる橋について記事を書きましたが、ここも同様なケースとも言えます。

ここでは景観論争の末に、不老橋の海側に景観に配慮したとされる新しい橋が建設されましたが、新たに渋滞箇所が発生したりしているようです。地域全体の景観形成からは如何かと思います。不老橋自体の歴史的価値は大きいものですが、海辺の風景に人為的な手を加えてきた一つの歴史でもあります。

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新しい橋が海側に架けられました。海を塞ぐ形になっています。
手前の欄干が古い不老橋の一部です。

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和歌山市側を望む風景

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対岸は海南市にある火力発電所

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交通は便利になったようですが、地域の魅力としては残念に思います。

鞆の浦の問題も建設してしまってからでは失われた景観は戻ってこないでしょう。
橋の構造等も埋め立てとなるとなおさらです。

海辺の風景を大切にしたいものです。

フォトアルバム

石川 哲久

千葉県木更津市在住。
昭和45年、東京大学工学部都市工学科卒業後、建設省に入り住宅局・都市局・計画局・国土庁等で、都市・建築・住宅行政に携わってきました。

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